接木の桜

提供: ArtWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動

つぎきのさくら


画題

画像(Open)


解説

東洋画題綜覧

桜に関する藤原定家卿の逸事で、『古今著聞集』十九に載す、曰く

承元四年正月の頃、内裏には日給はてて、源仲朝以下蔵人、町へ罷りけるに、大炊御門おもての唐門より、なえ/\とある衣冠の人参りける、主殿官人が朝ぎよめに参るにやと見侍りければ、しりさへよごれたる薄青のひとへ狩衣着たる侍一人具したり、誰やらむと見けるに、冷泉中将定家朝臣なりけり、たゞ今、なにしに参るやらむと、あやしみ見るに、南殿へ向ひて渡殿の前なる八重桜のもとに至りて立ちたり、花のころにもあらぬに、梢を見あげて、やゝ久しくほどへて侍をのぼせて、枝一をきらせておろさる、その枝を袍の袖くくみに取りて出でにけり、こそのさま何とは知らねど、優に見えければ、内々そのやうす披露してけり、『花を賞してつぎ木にせむとて、とらせけるこそ』と御沙汰ありて『そのしるしいひやるべし』とみことのりありければ、女郎伯耆は紅の薄様に書きてつかはしける。

なき名ぞとのちにとがむな八重ざくらうつさむ宿はかくれしもせじ

かへし

くるとあくと君につかふる九重ややへさく花のかげをしぞおもふ

定家卿の桜の接木をする風情また雅趣画かなものがある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)