振袖火事

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ふりそでかじ


画題

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解説

東洋画題綜覧

明暦三年正月十八日江戸本郷丸山本妙寺より出でて大江戸全市を焼いた火事、死者実に十万二千人といふ、此の火事には次のやうな由来がある、

浅草諏訪町に大増屋十右衛門といふ商人があり、きくといふ娘があつたが容色もすぐれてゐた、一日紫縮緬の裾模様の振袖を着て浅草観世音に詣でたが、雷門て黒羽二重の振袖に萌黄茶苧の袴をつけた美少年を見初めて病を発し、遂に相果てたので明暦元年正月十六日本妙寺に葬り棺の上に紫縮緬の振袖をかけた、茲にまた本郷元町麹屋吉兵衛の娘花といふ者があり、年十六、これも美人であつたが、或時近所の古着屋から紫縮緬の振袖を見出しこれを買つて着たが間もなく病が出て死んでしまひ、同じ本妙寺に葬り、此の時も棺の上にその紫の振袖をかけた、其頃中橋に伊勢屋五兵衛といふ質屋があり、娘をたつと呼び、之も十六だつたが、質物の流れの紫縮緬の振袖を見て請ふがままに請出して与へた処之も十六で相果ててしまつた。菩提所は矢張同じ本妙寺であつた、娘を同じやうな因縁で失つた、親達三人は、同じ寺の檀徒だつたので、三人の菩提を弔ふため同三年一月十八日本妙寺で施餓鬼を行ひ、件の紫の振袖を焼かうといふ事になり、法会を営み、所化三十人、読経しながら振袖を焼かうとすると、忽ち北西の風烈しく吹き来つて、火の移つた振袖を棟に吹き上げ忽ちあたり火の海となつて、前代未聞の大火事となつたのであると、此の由縁を画いたものに山川秀峰筆『振袖物語』(第一回帝展出品)がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)