扁鵲

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へんじゃく


画題

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解説

画題辞典

扁鵲は支那の名醫たり、耆婆と併び稱ぜられ、醫をいふもの必ず其名を稱す、勃海郡鄭の人、姓は秦氏、名は越人、少時人舎長となる、合客長桑君過ぐ、鵲之を見て奇とす、長桑亦扁鵲を見て常人にあらずとなし、互に相出入すること十餘年、一日禁方を扁鵲に授けて忽然として消す、扁鵠一日齊の桓公を見て病ありといふ、桓公従はず、再び言ひ三たび言ふ、桓公従はずゝ遂に死ず。扁鵠去って秦に入る、著に八十一難経あり。その像仏像図彙に掲載せらる。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

扁鵲は支那古代の名医で、耆婆と共に並び称せらる、『和漢三才図会』に曰く

扁鵲、姓秦名越人、渤海郡鄭人、少時有長桑君者、出懐中薬以上池之水令飲之、曰、三十日当知物矣、且伝与禁方書、而後忽然不見、扁鵲得此書視病診脈尽見五臓癓結、嘗得素問霊枢之旨、著八十一難経、或時過☆(乎+虎)、☆(乎+虎)太子死、扁鵲曰、臣能生之、乃用鍼取外三陽五会、有間太子蘇、乃為五分熨熨之以八減之斉和煮之更熨両脇下、太子起坐、服湯一旬両復、故天下得其名、過邯鄲、聞貴婦人即為帯下医、過洛陽聞周人愛老人即為耳目痺医、入咸陽聞秦人愛小児即為小児医随俗為変於是秦大医令李醢白知技不如扁鵲使人刺殺之、至今言脈者由扁鵲

扁鵲の像は仏像図彙に載する所あり、多く刀圭家これに依つて絵師に画かしめたといふ、川崎家旧蔵に狩野正信の作がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)