恋飛脚大和往来

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こいのたよりやまとおうらい。こいびきゃくやまとおうらい。

寛政8年(1796)2月13日に大坂角の芝居で上演。

近松門左衛門の『冥途の飛脚』に、その改作である紀海音の『傾城三度笠』の趣向を採り入れて、安永2年(1773)に菅専助・若竹笛躬作の浄瑠璃『けいせい恋飛脚』が作られた。この外題で歌舞伎にも上演されたが、内容は『けいせい恋飛脚』のままで改題されたのが本作である。天保元年(1830)閏3月に新口村の段が『恋飛脚大和往来』の外題で操芝居に逆輸入され、以来『けいせい恋飛脚』との両外題で歌舞伎・操芝居に上演されている。

『日本古典文学大辞典』(岩波書店 1984年)

あらすじ

(封印切)

大坂新町の井筒屋では、阿波の大尽が遊んでいる。大尽は、梅川に執心中で、梅川を呼び出す。 梅川には、飛脚問屋亀屋の忠兵衛という相手がいるのである。

忠兵衛は、梅川の身請けのため前金を払ったが、残金を払いきれず、期日も過ぎてしまった。

折りもおり丹波屋八右衛門から、梅川の身請けの申し出があり、塞ぎ込んでいたのである。 梅川は忠兵衛に手紙を送ったが返事がない。

忠兵衛は、堂島の屋敷で大事な金3百両を預かった帰り、手紙をもらった梅川に会いに井筒屋に足を向ける。 女将のおえんの手引で、裏の切り戸のところで二人は久々の逢瀬を交わす。おえんは、二人を内へ招き入れる。

見世にやってきた梅川の抱え主槌屋治右衛門は、八右衛門の身請け話を勧める。しかし、梅川の必至の哀願に治右衛門は忠兵衛との話を優先させることにする。

そこへ、八右衛門がやってきて、身請けの代金二百五十両を支払おうとするが、治右衛門は断る。八右衛門は、腹立ち紛れに、忠兵衛のことをののしり、また前金五十両は、盗んだ金であると言立てる。

それを聞いた忠兵衛は耐えきれず、座敷へ駆け下り、実父から送られてきた金があると言張る。八右衛門は、忠兵衛を挑発し、ふとした弾みで懐から取出した金子の封印が切れる。そして男の意地で次々と封印を切ってしまう。八右衛門は、拾い上げた紙包みに公金の印があるのを確かめ、訴人するために駆出していく。

梅川の身請けの後金を払った忠兵衛は、おえんと治右衛門から祝福を受けるが、二人きりになって梅川に事情を打ち明け、一緒に死んで欲しいといい、梅川はそれを受入れる。

梅川を先に行かせた忠兵衛は、おえんに自分たちの弔いの費用を渡すと、梅川を追って出ていく。