後白河天皇

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ごしらかわてんのう


画題

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解説

東洋画題綜覧

第七十七代の天皇、御名雅仁、鳥羽天皇の第四皇子、御在位三年で保元三年に御譲位、爾来、二条、六条、高倉、安徳、後鳥羽の五帝を擁立して、院政を摂ること三十余年、即位に際して保元の乱起り、次いで平治の乱起る、嘉応元年薙髪せられて行真といふ、法皇平氏の専横を憎み給ふこと深く屡々討伐を計られたが果さず治承元年鹿ケ谷の変が起り、清盛は法皇を幽せんとし重盛の諌言によつて纔に思ひとゞまり、重盛の歿後に及んで鳥羽に幽し奉る、文治元年源頼朝は義経追捕を口実とし全国の国衙荘園に守護地頭を置くことを乞ひ、これより政治の権全く武家の手に帰するに至つた、建久三年三月六条殿に崩御、宝算六十六、蓮華王院の法華堂に葬奉る、法皇夙に崇仏の念深く譲位の後、大に仏寺を起し、蓮華王院、法住寺新御堂、六条殿長講堂みなその建立にかゝり、又屡々石清水熊野高野山、日吉、四天王寺に幸し、遂に福原を経て厳島に幸す等修法読経につとめ給うた。

御白河天皇の御画像としては、京都妙法院蔵のもの最も有名で、寺伝に拠れば御宸筆といふ、それは兎も角、芸術的にも香りの高いものであることは周知のことである。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)