後徳大寺左大臣

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ごとくだいじさだいじん


画題

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解説

東洋画題綜覧

後徳大寺左大臣実定は和歌に堪能で、その歌の徳により、住吉大明神が翁の姿となつて現はれ、危く難船する処を救ふ、その場面が大和絵の好画題となつてゐる、その出所は『古今著聞集』巻五である。

嘉応二年十月九日、道因法師、人々をすゝめて住吉社にて歌合しけるに、後徳大寺左大臣、前大納言にておはしけるが、この歌をよみ給ふとて、社頭月といふことを。

ふりにける松ものいはばとひてまし昔もかくやすみのえの月

かくなむよみ給ひけるを、判者俊成卿殊に感じけり、世の人々もほめののしりける程に、其の比かの家の領、筑紫瀬高の庄の年貢積みたりける船、摂津国に入らむとしける時、悪風にあひて、既に入海せむとしける時、いづくよりか来りけむ、翁一人出で来りて漕ぎ直して別事なかりけり、舟人あやしみ思ふ程に翁のいひけるは、『松物いはばの御句、おもしろう候ひて、この辺にすみ侍る翁の参りつると申せ』といひて失せにけり、住吉大明神のかの歌を感ぜさせ給ひて御体をあらはし給ひけるにや、ふしぎにあらたなる事かな。  (古今著聞集巻五)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)