張子厚

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ちょうしこう


画題

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解説

東洋画題綜覧

張子厚、名は載、郿の人で進士に挙げられて太常卿の官に同知たり、人となり志気群ならず、初め兵を談じ、釈老の学を好み反てこれを六経に求めた、既に程子に見へて尽く異学を棄てこれに学ぶ、神宗立つに及び召して治道を問ふ、漸く三代に復するを以て答とした、然も執政を願はず告て帰つて横渠に居り一室に坐して心を潜め思を精うす、人に教ふるに礼を以てしたので、関西の士翕然としてこれを宗とし横渠先生と称した、熙寧十年歿す年五十八、明と諡し、孔子の廟庭に従祀した。著書、東銘、西銘、経学理窟等がある。六君子の一人。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)