弟橘媛
おとたちばなひめ
画題
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解説
(分類:神話)
前賢故実
穂積氏。忍山宿祢の娘。日本武尊が寵愛する姫。日本武尊が東夷を征伐するときに、媛は従軍していた。ある日、相模より海に船を出し東へ向かっていたが、海中で暴風が起こり、船は転覆しそうになった。そのとき、弟橘媛が「これは海神のしわざだ。私が皇子の代わりとして海に入る」と言うと、自ら海に身を投げた。すると暴風は止み、三軍の船は海を渡ることができた。皇子は深く悲しみ、歎いた。東夷を平定した後、碓日というところを越えるとき、弟橘媛を忘れられない皇子は、東を向かって「吾嬬己矣」と嘆いた。因んで、東の諸州を「吾嬬」というようになった。
比売が入海しようとしたとき。歌曰
さねさし さがむのをのに もゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも
(『前賢故実』)
東洋画題綜覧
日本武尊の妃、穂積氏、忍山宿祢の女、皇子御東征の日、相模から上総に向はせ給はんと海を渡る、暴風雨忽ち起り船将に覆らんとした、時に弟橘媛の曰く、是必らず海神の崇を為すのであらう、身を投じて皇子の命を贖ひ奉らうと、言ひ終つて海に投じた、暴風即ち止み岸に着くを得た、故に時人其の海を走水と曰ふ、皇子碓日嶺に到り弟橘媛を追憶し給ひ、東方に向ひ『吾嬬耶』と叫ばせ給うた、これより後、東国を称して吾妻といふやうになつた。
亦相模に進して上総に住せむと欲す、海を望りて高言して曰く、是れ小き海のみ、立跳にも渡りつべし、乃ち海中に至りて、暴風忽に起り、王船漂蕩ひて渡るべからず、時に王に従ひまつる妾有り、弟橘媛と曰ふ、穂積氏忍山宿祢の女なり、王に啓して曰く、今風起り浪泌くして王船没みなむとす、是れ必ず海神の心ならむ、願くは妾の身を以て王の命を贖ひて海に入らむと、言ひ訖りて乃ち瀾を披けて入りぬ、暴風即ち止みて、船、岸に著くことを得たり。 (日本書記第七)
古来歴史画として弟橘媛の描かるゝもの多く大作としては左の作がある。
伊東深水筆 東京府養正館壁画
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)