工藤祐経

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出典:日本人名大辞典

工藤祐経(くどう‐すけつね)  ?‐1193

平安後期-鎌倉時代の武将。

伊豆(いず)伊東荘(静岡県)の豪族。平重盛につかえ京都に宿衛。伊東祐親(すけちか)と所領のことであらそって,祐親をきずつけ,その子河津祐泰を殺害。のち源頼朝につかえる。建久4年5月28日富士の巻狩りの夜,祐泰の遺子曾我祐成・時致(ときむね)(曾我兄弟)に討たれた。

出典:日本大百科全書 工藤祐経 (くどうすけつね)[?―1193]

鎌倉初期の伊豆(静岡県)の豪族。祐継(すけつぐ)の子。初め平重盛(しげもり)に仕え、京都に宿衛したが、この間従兄(いとこ)伊東祐親(いとうすけちか)に所領伊豆国伊東庄を押領せられ、さらに妻を奪われたのを怒って帰国し、1176年(安元2)祐親を傷つけ、その子祐泰(すけやす)を殺した。その後源頼朝に仕えて寵遇せられ、北条氏とも親交があった。祐経は在京の間舞楽の道を学んで名手とうたわれ、86年(文治2)源義経(よしつね)の妾(しょう)静御前が鶴岡八幡宮の社頭で舞ったとき、鼓を打ってこれに和した。しかし、祐泰の遺子祐成(すけなり)、時致(ときむね)(曽我兄弟)に親の仇としてねらわれ、93年(建久4)5月28日夜、頼朝の富士野の巻狩に従った際、狩場の陣営で2人のために殺された。