島田髷

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総合

島田髷①〈女用訓蒙図彙〉

若い女性の髪形の一種。江戸時代初期に覆面の禁止があってから、女性も素顔で歩くようになって、頭上に髷を置く風習が盛んとなり、兵庫髷、勝山髷とともに、遊里を中心として広がった髪形である。島田髷の発生は、東海道島田宿(じゅく)の遊女たちが結い始めたのが、しだいに一般化したものである。しかし、島田髷の祖型はわが国の古墳時代の人物埴輪(はにわ)像のなかにみられる。島田髷は、髷が撥(ばち)の形をしているのが特色で、長い下げ髪を頭上にまとめるには、一度百会(ひゃくえ)に束ねて、その余りを後方から前に出し、毛先を中央に折り返して、全体を結び留めるという、もっとも自然的な方法である。この方法は、奈良・平安時代以降、下げ髪の普及によって中絶されたが、江戸時代に結髪の普及に伴って、前髪、鬢(びん)、髱(たぼ)をとってから、原始的な髷を設けることになり、島田髷の発生となった。元禄(げんろく)年間(1688~1704)になって流行し、最初は鬢を張り出さない〆付け島田、投げ島田などができたが、元文(げんぶん)年間(1736~41)男性に文金風という風俗がおこってから、島田髷の根を高くした文金高島田が行われ、ことに嫁入り前の若い娘たちには乙女(おとめ)島田が流行した。現代でも和装の結婚式に島田髷が結われるのは、この髪形が嫁入り前の髪形のためである。 [遠藤 武]


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