山田長政

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やまだながまさ


画題

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解説

東洋画題綜覧

山田長政は通称を仁左衛門といふ、駿河藁科の人、幼より大志あり、剣術や兵法を学び、後暹羅(今の泰)に渡航した、当時邦人の此地に赴くもの甚だ多く、所謂日本人町なる居留地があつて甚だ勢力があつた、会々国王の弟、陰かに叛を謀り国内騒擾したので長政は同胞国人を糾合して王の為めに義軍を起し賊党を討伐平定した、国王大に喜び爾来長政を尊重し、礼遇頗る厚し、然るに六昆〈リゴル〉の酋長、また国王の命に反いたので国王は長政をして之を征伐せしめた、長政兵を率ひて一戦にして大勝を得、大塚十左衛門を留めて城代とし其地に留め帰つて捷を奏した、王大に喜び其功を賞して長政を六昆〈リゴル〉に封じ王女を降嫁し益々其心を結ぶ、既にして元和七年国王奈舜烈使臣を我国に遣はして方物を贈るに及び、長政また伊藤久太夫をして従行せしめ、書を土井利勝に呈し鮫革二枚焔硝二百斤を贈つた、会々寛永三年駿河の舟人漂流して暹羅に来たものがある、長政これを遇し帰るに及び戦艦の図を托して浅間神社の社頭に掲げしむ、(原図は焼失し今のはその模本である)後六年、国王の歿するや長政及長臣甲花木〈カウハン〉に遺命して幼主を輔けしめたが、甲花木はその寡妃と通じ幼主を毒殺す、長政大に怒りこれを討たんとしたが、亦甲花木の為め毒殺された。  (徳川実紀)

山田長政を画ける作

小堀鞆音筆  『山田長政』  盤谷府日本美術展出品

猿飼嘯谷筆  『六昆征伐』  第十回文展出品      

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)