山田古嗣
やまだの ふるつぐ
画題
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解説
前賢故実
生まれつき孝行心が篤くて、廉潔で慎み深く寡黙な方であった。幼いときに母親を亡くして、母方のおばを母として敬っていた。古嗣は、かつて韓詩外伝を読んでいたときに、「樹欲静而風不止(樹木が静になりたくても風が止まない)、子欲養而親不待(子供が親孝行をしようと思っても親がすでにこの世にいない)」という詩句のところで思わず涙を流し、書物が涙に濡れてしまったことがある。後に、父親も亡くなり、身体を毀すほど悲しむ古嗣であった。陸奥按察使に任ぜられ、大外記にもなり、さらに推薦によって公卿の顧問をも務めていた。古嗣は好んで文士を推奨していた。その推奨によって登用された人は多かった。承和中、從五位下、阿波介にまで昇進し、いい政績を築いていた。阿波地方はもともと干ばつの多いところだったが、古嗣が赴任してから、灌漑用の水を確保するために、溜め池の修築に力を入れたおかげで、民衆が救われた。仁寿中に亡くなり、享年五十六歳。
/賦秋雨(秋雨を賦す)
秋雨正滂沛(秋の雨が今激しい勢いで降っており) 旬朝麗玉堂(わずか一日の間に殿堂が雨に洗われ綺麗になった) 花濃叢発越(雨がやんでから群がって咲いている花が馥郁たる香りを放ち) 燕度石飛翔(燕が石の上を飛んでいく) 已濯蘭林佩(群生している蘭が雨にぬれてすでに頭を下げ) 更霑蕙草香(蕙草も潤されてさらに香るようになった) 迎風散斜影(風に吹かれて木々の斜めの影が崩れ) 清暑送浮涼(軽くて涼しい風が暑気払いをしてくれた) 似露飄長樂(まるで風の中で露の水滴に舞われる長楽宮と) 如塵拂建章(立上る塵にそっとかすめられる建章宮のようだ) 長年無破塊(長楽宮や建章宮とは違って長い間に破壊されたことがなく) 崇德詠時康(徳を重んじているおかげで天下泰平を謳歌することができた)
(『前賢故実』)