尚歯会

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しょうしかい


画題

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解説

画題辞典

年歯の高きものを尚ぶ会にして、高年のもの相会し、詩歌管絃を催うし、饗宴を張りて遊樂するなり、唐の会昌五年白樂天の履道坊にて行われしが初めにて、我邦にては貞観十九年三月十八日、大納言年名卿の小野の庄に行われしを初めとす、総べて白樂天が会に倣い、高年者七人を選びて、七叟と称し、本座となし、他は垣下といいて相伴とするを習とす、平安時代には盛に行われたり、土佐派の画に之を描くもの少しとせず。尚「白河尚歯会」の条参照すべし。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

年歯の高いのを尚ぶ会で、長褥の人々相会し詩歌管絃を催し、宴を張り饗を設けて遊楽した行事、その起原は陽成天皇元慶元年三月、大納言南淵年名設尚歯会と皇年代略記にあるを書物に見えた始めとする、其後、冷泉天皇安和二年藤原在衡が粟田山荘における、崇徳天皇の天承元年藤原宗忠が白河山荘における尚歯会の如きは、白楽天の例に倣つて詩賦の遊宴であつたが、高倉天皇の承安二年藤原清輔、白河の宝荘厳院で始めて和歌の尚歯会を行ひ、次で養和二年加茂重保またこれを襲ぎ、爾後詩賦と詠歌との二様に分れて行はれ、江戸時代には年賀の筵に於てこれを行ひ連歌俳句を交へるのもあつた。  (古事類苑)

尚歯会は古く土佐絵などに画かるもの多い。

宇喜多一蕙筆  松本双軒庵旧蔵

森村宜稲筆   第六回文展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)