将門記
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まさかどき
「今昔物語」やその他の将門ものに大きな影響を与えた作品(資料というべきか)。事件直後に描かれた実録的な作品なのか、それとも後の時代になって誰かが資料を調べ、それを基に書いたものなのかははっきりしていない。しかし、将門研究においては第一の資料である事は間違いなく、「真福寺本」系統、「楊守敬旧蔵本」系統ほかいくつかの諸本があり、それらの比較研究によってその内容は読まれている。
将門には、将門は神仏によって成敗されたという調伏伝説や、将門の首が胴体を求めて動き回ったという伝説など多くの伝説が残るが、この作品はその影響が比較的薄い。つまり、かなり将門と近い時間に書かれたという事である。そのため、他の作品への影響力も大きかったようだ。
この中に将門が坂東諸国の受領を任命された際、任命の儀式の中で
『王城は下総国の亭南に建つべし。兼ねて浮き橋を以て、号して京の山崎となし、相馬郡の大井津を以て号して京の大津となさん』
と記述したという文章があるため、将門が相馬を拠点とする政権構成を持っていたのではないかという考えを生み、後の作品に影響を与えた。 しかし、実際には相馬郡を指しているのではなく、岩井市岩井(元々将門が拠点としていた土地)を指した記述であることが後の研究によって明らかにされている。また、この時点では滝夜叉姫の記述などはなく、その事からも後の作品が史実を改変していった事が伺える。
【参考文献】
『平将門資料集付藤原純友資料』 岩井市史編さん委員会編 新人物往来社 1997年6月
『普及新版日本歴史大事典 5』 日本歴史大事典編集委員会 河出書房新社 1985年5月
『日本歴史地名体系8 茨城県の地名』 平凡社 1982年11月