将軍塚

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しょうぐんづか


画題

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解説

画題辞典

将軍塚に京名所の一なり、長樂寺峯にあり、伝へていう、桓武天皇奠都の時、八尺の土偶を造り甲胄を帯せしめ此に納め、王城の鎮護となすと、後世天下変あらんとする時、この山鳴動して前兆を告ぐという、

高山寺に伝鳥羽僧正筆将軍塚伝一巻あり、国宝なり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

京名所の一つで、東山長楽寺峰にあり、華頂山の南方で、いまの円山公園の東から登る『平家物語』巻五に曰く。

延略十三年十一月廿一日、長岡の京より此京へ被移て後、帝王三十二代、星霜は三百八十余歳の春秋を送り迎ふ、昔より代々の御門、国々所々に多の都を被立しか共、如此の勝地は無とて桓武天皇殊に執し思食し、大臣公卿諸道の才人に仰せ合せ長久なるベき様とて土にて八尺の人形を作り鉄の鎧甲をきせ同う鉄の弓矢を持せて東山の嶺に、西向に立てゝ被埋けり、末代に此都を他国へうつす事あらば守護神と可成とぞ御約束在ける、されば天下に事出来んとては、此塚必鳴動す、将軍が塚とて今に在り。

高山寺に国宝伝鳥羽僧正筆『将軍塚絵伝』一巻あり、此の塚の由来を画いてゐる。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)