富永平兵衛

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とみながへいべえ


総合


歌舞伎

延宝から元禄時代の京阪の歌舞伎作者。 もと俳優であったが、のち専門の作者となり、延宝八年(1680)十一月の顔見世番附に初めて「狂言作り」として名前を銘記したので有名。作品は敵討のからんだお家物が大半で、理智的技巧的であり、「鹿島之要石(かしまのかなめいし)」「丹波与作手綱帯(たんばのよさくたづなおび)」などがある。元禄十一年(1698)頃に没した。