客者評判記

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総合

『客者評判記』 滑稽本、作者式亭三馬、絵師五渡亭国貞、文化八年(1805)二月刊行。書名は、遊郭に来る客を描く烏亭焉馬の『客者評判記』(安永九年)になぞらえたものであるが、内容は劇場内外の芝居見物の生態を描いている。三馬が書いた本書の広告には次のような言葉がある。

 「役者評判記のひきかへしに、楽屋の方から見物の人々を評したる古今未発の人物評林、おしあふ人の千差万別、をかしき姿を絵にうつして、一人々々の心持を芸に見立てた仕うちの魂胆、五けんものゝ見巧者より、ひっぱり、でんぼう、のん太郎、それ/〝\の意味をさぐりて、例のおかしき絵入読本」(『日本名著全集 江戸文芸之部 滑稽本集』山口剛解説)

本書の文体は八文字屋の『役者口三味線』によって定型化し役者評判記の体裁を取っている。序に次のような言葉がある。

 「巻首より大尾までの文体ハ元祖八文字屋自笑翁の口調に倣ひまして書あらハしまする」

三馬は『客者評判記』の初編と後編を書いたが、刊行できたのは初編だけとなっている。『画入読本 外題作者画工書肆名目集』には、後編の原稿は文化十年十三日付で月番奉行に廻状されているのが見える。

また、本書には唐人が賛辞を絹に書き記して二代目団十郎に贈った記載がある。

 「その後二代目柏莚の時寛延年中諸葛白岩といふ商唐人と、姑蘇の沈草亭といふ者が白絖地へ長々と文を書て贈たが、悉く賞美したものさ。今も巻物にして本所の焉馬が持ってゐる」

上記にある「諸葛白岩」という人物については、出自や経歴などのことは明らかになっていない。佚山默隠が書いた『小篆千字文』の序を書いた人である、ということはわかっている。また、「沈草亭」という人物は、名は璠、字は魚石、号は草亭と称し、蘇州の名医であって、詩文書画にも堪能な人である。1733年(1744という説もある)から1764年までは日本に滞在していた。1750-1764の十四年間は長崎に逗留していたが、1750年までは日本のどこにいたのかわかっていない。長崎の福済寺の大鵬和尚が煩っている難病を治癒したことは有名である。