実川延若
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じつかわえんじゃく
総合
歌舞伎
定紋重井筒。現在替紋五つ雁金使用屋号河内屋。もと実川額十郎の俳名を、明治初期の京阪歌舞伎の重鎮であった実川延若が、初めて芸名とした。
初世
天保ニ-明治十八(1831-1885) 大阪生れで、二世額十郎の門弟。江戸へ出て中村延雀から、四世尾上菊五郎の養子となり尾上梅幸を名乗ったが、のち絶縁して帰阪、文久二年(1862)実川延若と名乗る。中村梅玉・中村歌右衛門以後の上方和事の正統。時代物より世話物がよく、色立役の大阪人に扮するのが名人。
二世
明治十-昭和二十六(1887-1951) 初世の子。前名延二郎。父の芸風をうけ、初世中村雁治郎と対抗した唯一の名優。雁治郎没後は関西劇壇の大御所。晩年芸術院会員に推された。