安倍晴明
あべの せいめい
画題
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解説
前賢故実
(『前賢故実』)
東洋画題綜覧
天文博士、父を益材といひ大膳大夫であつた、晴明初め加茂忠行及び其の子保憲に従つて陰陽推算の術を学び、天文を究め、占易を試みるに的中すること神のやうであつた、進んで従四位下に叙せられ、天文博士、大膳大夫、播磨守に歴任した、晴明に就いては種々の逸話がある、華山天皇が御位を遜かれ夜潜かに宮を出てさせ給うた、近侍と雖も知るものがなかつた、その夜晴明暑を庭に避けて居たが、空を仰ぐと天象に異変があつたので大に驚き、宮廷に侍候したが、天皇果して在しまさず、又、長徳年中、術を行ふ者があり、左大臣藤原道長に告げて曰ふ、某月某日怪しい事があると、道長怖れてその期日が来ると門を閉ぢ客を謝し、邸には源頼光、医師丹波忠明、僧正勧修及晴明を招いて無事を祈つてゐた、偶々大和から瓜を献じたものがある、道長は疑つて之を食はず、時に晴明の曰く、此の瓜には必らず毒があらうと、そこで勧修が呪を唱へると瓜一個転り出した、忠明針を以て之を刺すと、瓜は動かなくなつた、頼光即ち刀を以て之を斫ると果して、中に小蛇が居り、針はその眼を貫いてゐた。又、道長は常に一頭の犬を畜つてゐた、家を出づる毎に必らず従ふ、一日法成寺へ行かうとして家を出たが、犬は前を遮り、裾を啣へて離さない、道長怪んで晴明を召しこれを質すと、晴明の曰く、これは相府を呪咀するものがあるからである、何か地中に埋めたものがあらうと、その指す所を掘ると密封した土器が現はれ、中には一字を朱書したものが入つてゐた、晴明の曰く、此の術を知るもの道満法師の外にない、彼の為す処であらうと、紙を結んで鳥の形とし呪文を唱へて之を放すと、紙は鷺となつて万里小路河原院側の民家に止まる、その主を捕へると果して道満であつたので捕ヘて之を播磨に逐つた、かうした逸話は幾らもある、著はす処、金烏玉兎集、占事略一巻がある。 (大日本史)
此の晴明の子保名と芦屋道満、これに葛の葉を絡んだ戯曲に『芦屋道満大内鑑』があり、清元に『保名』がある。
安倍晴明を画いた作には左の一点がある。
織田観潮筆 『安倍晴明』 第十回帝展出品
菅楯彦筆 『晴明呪縛病鬼』 伯林日本美術展出品
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)