孫思邈

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そんしばく


画題

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解説

画題辞典

唐代の道士にして京兆華原の人なり、百家の説に通じ、老荘を追ひ、医薬をよくし、大白山に隠居す、唐の太宗の時召されて一たび山を出で京に入りしも、老を以て官に仕へず、再び山に還る、孟説、廬昭隣等之に師事す、曽つて胡僧の雨を昆明池に祷ることあり、七日にして池水縮まる数尺に及ぶ、龍化して老人となり、救を思邈を求む、邈曰く仙方を伝ふるあらば即ち救はんと、遂に因つて禁方を得たり、その著に千金方あり、

秋元子爵旧蔵に狩野探幽の作あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那の仙人である、幼時から聖童の名を馳せ長ずるに及んで好く老荘を談じ、その生涯極めて変化に富む、『列仙全伝』第五に曰く

孫思邈、華原人、七歳日誦千言、独孤信見之曰、聖童也、顧器大難為用耳、及長好談老荘、周宣帝時、以王室多事隠於太白山学道、錬気養神求度世之術、洞暁天文推歩精究医薬務行陰徳、偶見牧童傷小蛇血出、思邈脱衣贖而救之、以薬封褁放於草内、旬余出遊見一白衣少年、下馬拝謝曰、吾弟蒙道者所救思邈未即省。少年復邀思邈至家易以已馬、偕行如飛、至一城郭、花木盛開金碧炳燿儼若王者之居、少年延思邈入、見一人袷帽侍絳衣侍徒甚衆、忻喜趍接謝思逸曰、深蒙道者厚恩、故遣児子相迎、因指一青衣児云、前者此児独出為放豎所傷、頼道者脱衣贖救得有今日、乃令青衣小児拝謝、思邈始省昔日脱衣救青蛇之事、潜問左右、此為何所、対曰、此涇陽水府也、絳衣王者命設酒饌妓楽宴思邈、思邈辞以辟穀服気、惟飲酒耳、留連三日、乃以軽綃金珠相贈、思邈堅辞不受、乃命其子、取竜宮奇方三十首与思邈曰、此可以助道者済世救人復以僕馬、送思邈帰、思邈以是方歴試皆効、乃編入千金方中、隋文帝徴為国子博士不就、嘗密謂人曰、過此五十年当有聖人出、吾方助之以済生民、至唐太宗召始詣京師、上訝其容少曰、故知有道者試可尊重、羨門之徒、豈虚言哉、求徽三年、年已百余歳、一日沐浴、衣冠端坐謂子孫曰、吾今将遊無何有之郷矣、俄而気絶、月余顔色不変、及入棺唯空衣焉、後明皇幸蜀、夢思邈乞武都雄黄、即命中使齎十斤、送於峨眉頂上、中使上山未半見一人幅巾被褐鬚眉皓白、二青衣童、丸髻夾持、指大盤石曰、可置薬於此石上、有表録謝皇帝使視石上、大書百余字遂録之、随写随滅、写畢石上無復字矣、須臾白気漫起、因忽不見、成都有一僧、誦法華経甚専、雖兵乱、卒不能害、忽一日有僕人至云、先生請師誦経、経過煙嵐中、入一山居僕云、先生老疾起遅請誦経、至宝塔品欲一聴之、僧誦至此、先生出、野服杖藜両耳垂肩焚香聴経、罷遂供僧以藤盤竹箸、秣飯一盂、杞菊数甌、僧食之、絶無塩酪味美若甘露復贈銭一緍、僕送出路口、僧因問曰、先生何姓、曰姓孫、何名、僕於掌中手書思邈二字、僧大駭、視僕遽失不見、視銭皆金銭也、僧自此身軽無疾、宋真宗時、僧已二百余歳、後莫知所之。

これを画ける主な作左の如し。

狩野探幽筆   秋元子爵家旧蔵

狩野養川院筆  徳川伯爵家旧蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)