季武の下駄

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 季武が履いている下駄は「高下駄」であり、歯が長く通常の下駄よりも高さのある下駄のことを言う。これは、雨の多い日本で古来から用いられてきた雨具の代表的な一つである(注1)。作品には斜め右へと走るように雨が描かれていることから、この場面は雨天であることが分かる。J.スティーブンソン氏は下駄について、「彼の高下駄は沼より高く彼を保たせている」と述べている。つまり、季武は「高下駄」を履くことで沼から逃れられているのであり、この作品の場面上何ら不思議はない。しかし、それだけでは面白味がない。


 ◇下駄の聖性

 下駄に関して、秋田裕毅氏著の『ものと人間の文化史104 下駄 神のはきもの』(注2)から引用させて頂く。

 ・下駄は、江戸時代の始め頃までは、「足駄(あしだ)」とよばれていた。下駄の語が出現したのは、戦国時代頃とされているが明確でない。その下駄の語が、足駄にかわって全国的に普及するのは、地域によって異なるが、一般的に、江戸時代の末期から明治時代にかけてのことである。

 ・いつの時代でも下駄とともに出土する木製品が、祭祀や呪術と深くかかわっていることを理解していただけたと思う。出土した木製品のすべてとは言わないが、その九〇数パーセントが祭祀にかかわる遺物であることを考えると、これらの木製品とともに、古墳時代から江戸時代まで一貫して出土する「下駄」もまた、祭祀や呪術に深くかかわる遺物、すなわちカミマツリに使用された聖なるはきものであることは、もはや論をまたないであろう。

 ・絵巻物に描かれた山法師は、裏頭以外は、手に扇をもつだけで、下駄をはいた裏頭姿の僧が自ら薙刀をもつ例はない。その下駄は高下駄で、ほとんどが塗り下駄である。

「押戻」の主人公の簑笠姿(三代目豊国画)

 ・下駄をはく人物の持物は、なんらかのかたちで聖性を保持していることが知られる。

 ・歌舞伎の荒事の『押戻』の主人公は、蓑・笠を着て、下駄をはき、手に竹をもつという異形で悪鬼・邪霊の巨大な悪を押し戻すが、蓑・笠を着たカミが、下駄をはくのは、歌舞伎の本質からみて単なる演出ではなく、下駄が、カミのはきものであることを前提にしたものであることは明らかである。<中略>下駄が聖なるはきものであるという観念が、いまだ人びとの心の底に残されているのではないかと思わずにはいられない。

 ・平安時代の中頃まで、下駄は、一般庶民はおろか、一般貴族にもほとんど縁のない聖なるはきものであった。<中略>下駄が都市住民を中心に普及していったことは、江戸時代になると、江戸城下町をはじめ、各地の城下町や宿場町から大量に下駄が出土することからも証される。しかし、下駄が都市住民のはきものになったからといって、下駄の聖性がまったく失われたわけではない。それは、江戸時代になっても、井戸や祭祀的な遺物が出土する土坑から下駄が出土することなどからもうかがわれる。

 ・江戸の町を描いた名所図会や風景画には、あまり下駄をはいた人物は登場しない。江戸時代で下駄をはく人物が登場する絵画といえば、傘をさしたり、傘を手に持っていたりして下駄をはく美人画や役者絵、銭湯の行き帰りや夕涼みに浴衣を着る人物画、井戸端で洗濯する女性、洗い張りをする女性を描いた風俗画、遊女や花魁などの花街を描いた浮世絵、門付けをする芸能者などを描いた絵本などにほぼ限られるのである。下駄をはいたこれらの人物は、前章まで詳しくみてきた下駄をはく聖なる人物とその多くが重なる。このことは、下駄が、一般庶民のはきものとなったといっても、大きな流れのなかでみれば、下駄が聖なるはきものという下駄本来の意味が、かすかながらも、連綿と継承されていることを示している。

(以上、秋田裕毅『ものと人間の文化史104 下駄 神のはきもの』より引用)


 ◇高下駄のイメージ
「和漢準源氏」(国芳画)

 当時、人々は「高下駄を履く人物」と聞いて誰を思い浮かべただろうか。その人物の名前を確信を持って列挙することは出来ないが、恐らくその一人に「牛若丸」が挙げられるであろう。江戸時代に源義経の物語は非常に人気が高く、歌舞伎などで採り上げられていたという。義経を描いた浮世絵も多く残っており、そこから当時かなりの人気を博していたことが伺える。

 そして「牛若丸」と言えば「高下駄」なのである。浮世絵に描かれる「牛若丸」は、主に弁慶と対峙する場面において「高下駄」を履いている。芳年自身が描いた弁慶と闘う牛若丸も「高下駄」を履いているので、そこに「牛若丸=高下駄」のイメージが確認できるだろう。そのイメージはまた、芳年の師の国芳の絵からも見ることができる。


 つまり、「高下駄」には「雨天時の履物」としてのイメージの他に、「ヒーローが履く聖なる履物」のイメージが人々の心にあったことが推測される。

 卜部季武は、頼光四天王の一人として様々な絵師の手により「妖怪を退治する勇敢な武士」として描かれた。これはつまり、季武が「此の世ならざるものを退治する人間を超えた聖なる存在」であり、また「人々にとってのヒーロー」であったと言えるのではないだろうか。芳年は「高下駄」を履いた季武を描くことによって、絵の鑑賞者にこういった「季武の聖性さ」「ヒーロー像」を思わせる伏線を張ったのかもしれない。



<脚注>

(注1)服部幸雄『花道のある風景 歌舞伎と文化』、白水社、1996年05月30日

(注2)秋田裕毅『ものと人間の文化史104・下駄 神のはきもの』、法政大学出版局、2002年03月01日