妻鹿長宗

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めが ながむね


画題

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解説

前賢故実

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(『前賢故実』)

東洋画題綜覧

赤松円心の臣元弘三年四月三日、六波羅勢と東寺で戦つた時、豪勇を現はしたこと『太平記』巻八に見える。

播磨国の住人、妻鹿孫三郎長宗と申すは、薩摩氏長が末にて、力人に勝れ、器量世に超えたり、生年十二の春の比より、好みて相撲を取りけるに、日本六十余州の中には、遂に片手にもかゝる者なかりけり、人は類を以て聚る習なれば相伴ふ一族十七人、皆尋常の人には越えたり、されば他人の手を交へずして一陣に進み、六条坊門大宮まで攻め入りたりけるが、東寺竹田より勝軍して帰りける六波羅勢三千余騎に取り巻かれ、十七人は討たれて孫三郎一人ぞ残りたりける、生きてかひなき命なれども、君の御大事是に限るまじ、一人なりとも生き残りて、後の御用にこそ立ためと、ひとりごとして只一騎、西朱雀を指して引きけるを、印具駿河守の勢、五十余騎にて追懸けたり。其中に年の程二十ばかりなる若武者、只一騎馳せ寄りて引きて帰りける、妻鹿孫四郎に組まんと近づきて、鎧の袖に取り着きける処を孫三郎是を物ともせず、長き肘を指し延べて鎧の角総を掴みて中に提げ馬の上三町ばかりぞ行きたりける、此武者然るべきものにてやありけん、あれ討たすなとて五十余騎の兵跡に附きて追ひけるを、孫三郎尻目にはつたと睨みて、敵も敵によるぞ、一騎なればとて我に近づきてあやまちすな、ほしからずばこれ取らせん請取れといひて左の手に提げたる鎧武者を右の手に取り渡して、えいと抛げたりければ、跡なる馬武者六騎が上を投げ越して、深田の泥の中へ、見えぬ程こそ打ちこうたれ、是を見て五十余騎の者ども、同時に馬を引き返し逸足を出してぞ逃たりける。

これを画いたものに小堀明の『妻鹿長宗戦東寺』(第十六回革丙会)がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)