妹背山婦女庭訓

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いもせやまおんなていきん


総合


歌舞伎

浄瑠璃、五段、時代物近松半二三好松洛等合作。1771年(明和8年)大坂竹本座人形浄瑠璃の作品として初演され、大好評だったため同じ年に大坂で歌舞伎に移された。義太夫狂言の名作の一つ。

藤原鎌足が蘇我入鹿を討った事件や、珠取海士の伝説は、謡曲「海士」や幸若、古浄瑠璃の「たいしょくかん」、近松の「大職冠」等に脚色されていたが、これらから暗示を受け、更には古くから大和に伝わる采女の絹掛柳の伝説、神鹿殺しの説話および謡曲「三輪」の苧環の伝説などを巧みに交えて作り上げた妹背山は、その構想の雄大さからも、趣向の奇抜さからも、文章の美しさからも、王朝物を代表する作である。今日多く上演されるのは、三段目の「山の段」(吉野川)、四段目の「杉酒屋」「道行」「御殿」である。

親達の不和と入鹿の横暴のため、大判司の息久我之助と定高の娘雛鳥との清純な恋は、吉野川をはさんで、花のように美しくもあわれに散ってしまう(山の段)。一方杉酒屋の娘お三輪は、入鹿討伐に心を砕く藤原淡海に思いを寄せ、一本のおだまきの糸にあやつられて、入鹿の妹橘姫の後を追い(道行恋苧環)、御殿に着いた。お三輪は、恋する人のため身を犠牲にして、入鹿討伐の助けをする(御殿)。

この世で結ばれなかった久我之助のもとへ、雛鳥の首を雛道具へのせて嫁入させる場は、俗に「道具流し」といって、「山の段」のグライマックスである。お三輪が御殿で「いじめの官女」といわれる官女らにさんざんからかわれて、馬子唄を踊るくだり(竹雀)が「御殿」の見どころ。