奈良許知麻呂

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ならの こちのまろ


画題

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解説

前賢故実

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二人とも大和の人。父母に孝行し、兄弟を大事にしていた。飢餓や病気の者がいると、二人とも自分の食料を持って行って、介抱をしたりして力を尽してあげた。登美と箭田の郷の百姓が、二人の恩義に感心して、二人を父母のように敬愛していた。許知麻呂は、かつて継母に讒言されて父の家に入れなかったが、親を恨むどころか、却って親を厚く奉養していた。和銅七年、役所が二人の孝行と節操を表彰して、それぞれ終身租税と労役を免除した。 また、果安の妻信紗氏が、舅と姑によく仕え、夫が亡くなったのちに、自分の産んだ子供と妾の子供全て分け隔て無く養育した。これに対して、郷里の人々は感動を覚えた。

(『前賢故実』)