天守

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てんしゅ


画題

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解説

東洋画題綜覧

封建時代に諸侯が築いた城郭内の最高楼で城櫓の大きなもの、城郭建築の中心をなすもので、城郭としての壮観も此の天守に集まるので、城郭の画かるゝものは多く天守を中心に図してゐる。また天守閣。

天守、公方の城に天守と書し、国守の城に殿主と書すなど云へり、天守は松永久秀が志貴の多聞城に始まり、織田信長が安土城に盛なりといふ、共に天主教を信じたれば、或は天主を祀れるものならむか、且、近古の築城術も洋人の伝へたるものゝ如し、或は仏教の帝釈は三十三天の主なり、故に天主閣の中央に帝釈を祀り、四隅に四天王を祭る、初めは天主と書きて上層に天帝を祭りしとぞ、然るを上杉謙信、天主の称を悪み、天守と改む、須弥の天守は毘沙門天なりとて、此神を祭りしより、今は皆、天守と書す、城の本丸の中に、特に高く設くる物見櫓の称、井楼の発達したるものならむ、三層五層、七層などにて八棟造などに建つ。  (大言海)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)