大野果安

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おおのの はたやす


画題

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解説

前賢故実

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共に大友皇子(弘文天皇)側の将。壬申の年(672)、皇太弟(天武天皇)が吉野で兵を起こし、大伴吹負を大将にした。果安は、乃樂山に陣を敷いた吹負を破った。吹負は逃走した。果安は追撃して八口に至り、丘に登って遠望すると、伏兵があると察して軍を退いた。小隅は夜中に、兵士たちに口に木片を銜え、軍の幟を巻き納めさせ、鹿のいる深山を越えて、田中足麻呂が鎮守している倉歴の軍営に襲いかけ、これを破った。足麻呂は困り果てて、敵味方を区別するための小隅軍の合言葉を使って逃れた。小隅はまた前進して莿萩野の軍営を襲撃したが、敗れて逃げた。

(『前賢故実』)