大仏開眼

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だいぶつかいげん


画題

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解説

画題辞典

奈良東大寺大仏の開眼供養なり、聖武天皇仏法興隆の御願を発し、大和国添上郡に廬舎那大仏の造立を企て、天平十五年詔を下し、十七年工事に著手し、天平勝宝元年成る、大仏殿は十九年に工を起し、天平勝宝四年に成り、同年四月開眼供養会を挙ぐ、天皇東大寺に行幸し、親ら文武百官を率ゐ斎を設く、大会の儀元日に同じ、五位以上は礼服を著し、六位以下は当色なり、式に列る僧侶その数一万なり、

第一回文展に寺崎廣業之を画く。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

天平勝宝四年四月奈良東大寺の大仏成り盛なる開眼の式が営まれ、孝謙天皇行幸、聖武上皇また臨御、群臣百僚殿後に列し、盛儀を極む。

聖武帝仏法興隆の至願を発したまひ諸国に国分寺を建てさせ給ひしが、天平十三年更に廬舎那大仏の造像を志し、十五年近江紫香楽宮に御し造像の詔を頒ち玉ふ、廿一年平城京東山に大像を鋳、三年にして荘厳成る、実に天平勝宝四年也、大日本仏教史云、大像鋳造の着手は天平十九年九月(水鏡、東鏡)而て其成就は三年の後なり、一代要記壒嚢抄を按ずるに八回の改鋳あり天平十三年より算すれば前後九年を経、落慶の歳までには実に十二年に及び世に四聖建立の伽藍といふ。  (大日本地名辞書)

これを図したるものに寺崎広業筆『大仏開眼』がある。(第一回文部省美術展覧会出品)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)