大仏殿万代石礎

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「風の便のつて聞ば誠の母君は御病死。父御は日向の国宮崎といふ所に。盲目の乞食となり。(中略)十歳に余る養育の恩誠の親の産の恩。かたづりならぬ其中にもめいどのうばの遺言。成人して父上に尋ねあい給へ。それが弔いゑかうとのかたみの詞。一時も早くもう目の父の苦を救はんものと。心は思ひ定てもするわざしらぬ女の悲しさ。ないて計過つる夕暮。(中略)うら山しや父うへにも其官がさせたましや。たとへ海山を隔住(へだてすむ)とても。(中略)日向にござんす盲目の父上に官をさせまし。一生やしなひころす程と。今生で父のお顔一めおがんで帰る其間のお暇と。」


↑景清の娘人丸の思いが、「大仏殿万代石礎」にはこのように描かれている。


その後二人が再開するシーンがある。↓

「はるばる尋きたりしに娘よふきたふびんやと。(中略)がり付て泣けれは。父も引よせ撫さすり。もしやと我子の顔見たげに。ゆびでまぶたをひつはつても。くらきにまよふ盲目の。心のやみにもかきくれてぜんごも。」


しかしその後、人丸の身を案じて辛くあたり、「たつた一めにらんでくれたいと見はる眼(まなこ)にはらはらと。こぼるる涙をおさな気に誠のしかりと悲しさつらさ。せきあげせきあげ泣けれは。」とあり、涙ながらの別れのシーンが描かれる。そうして人丸は再び船に乗って帰っていく。


参考

長谷川強「西沢一風全集」 汲古書院 2005年10月