夢窓国師

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むそうこくし


画題

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解説

東洋画題綜覧

夢窓国師は臨済宗、山城国嵯峨天竜寺の開山、諱は疎石、夢窓はその号である、伊勢の人で弘安元年父とともに甲斐に移り、同六年九歳の時平塩山空阿の室に投じて仏教を究め、それより奈良、京都に遊んで顕、密二教の奥旨を修め永仁三年十月鎌倉に赴き、無及、痴純、桃谿等に就いて参禅し遂に禅宗に帰し宋の一山、元の高峰等に師事した、常に衆居を厭ひ静かに修養するため屡々山間の僻地に隠れたが四方から徳を慕うて集り、幾程もなく門前市を作した、北条高時及びその母覚海夫人の懇請によつて止むなくその邸に到ることあるも数日にして隠る、後醍醐天皇、光厳上皇、及び足利尊氏の崇信を受け、暦応三年、天皇の勅願所山城国天竜寺の開山となつた、観応二年九月二十七日、寿七十七にして入寂した、勅により夢窓、正覚、心宗、普済、玄猷、仏統の国師号を賜ふ。  (仏教辞林)

夢窓国師の画像としては、嵯峨天竜寺塔頭妙智院所蔵のもの、無等同位の筆として最も有名であり、此外天竜寺、相国寺、鹿苑寺には自賛の肖像があり、鹿王院議二幅の中永璵の賛あるもの及西芳寺、鎌倉黄梅寺所蔵のものは何れも国宝であり、近作には左の作がある。

福田恵一筆  『疎石』  第十二回帝展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)