夢殿

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ゆめどの


画題

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解説

画題辞典

聖徳太子、推古天皇の九年に始めて自ら宮を建てゝ居る、之を班鳩宮と稱す、宮の中に別殿あり、夢殿と名づく、一日三回、太子沐浴して之に入り佛に對して冥想に耽るといふ、或る時太子入りて戸を閉ぢ、出でざること七日七夜、遂に三昧に入るといふ、遺址は今大和国生駒郡法降寺東殿にあり、第六回文展に安田靱彦「夢殿」と題し太子三昧に入るの図を画く。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

聖徳太子御入定の遺跡で、大和法隆寺の中院より東四町の処に在る、八角円堂で、高さ三丈九尺、径五丈六尺、天平年中の建立といふ、本尊十一面観音は止利仏師の作といふ。

七月に妹子唐土へ渡りて、明くる年の四月に一巻にしたる法花経をもて帰り来れり、九月に太子斑鳩宮の夢殿に入らせ給ひて、七日七夜出で給はず、八日といふ朝、御枕上に一巻の御経あり、太子のたまはく、『この経なむ、わが前の世に持ちし経にて侍る、妹子が持て来れるは、弟子の持ちし経なり、この経に三十四の文字あり、世の中にひろまりし経にはこの文字なし』とぞのたまひける、二十九年二月二十二日太子うせ給ひき。  (水鏡)

此の夢殿に太子三昧に入るの図を画きたるものに左の作があり。

小堀鞆音筆  岡谷惣助氏蔵

安田靫彦筆  第六回文展出品

なほ夢殿の建築を描いたものに左の作がある。

田村彩天筆  第六回帝展出品      

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)