多武峰

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とうのみね


画題

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解説

東洋画題綜覧

多武峰は大和国磯城郡の南、多武峰村大字北山より一里十三町にあり頂上に談山神社がある、標高千六百五十尺

社殿の宏壮、境域の幽邃之を日本全国に求めば蓋し日光に過ぐる者なし、然れども若し之を関以西に限らば談山神社竟に其魁たらざるを得ざるべし、社は別格官幣社にして多武峰の半腹にあり、其祭神の如きは必らずしも言ふを待たず、世人皆贈太政大臣正一位藤原鎌足の霊なるを知る、多武峰一に談ひ山と号す、伝へ云ふ昔鎌足、入鹿父子を誅せんとする時、中大兄等と北山の藤花の下に謀議したるが故に名くと、或は云ふ談の字音多武に通ずるより談山と号し遂に訓読したるなりと。  (名勝地誌)

谷深く分けいる多武の山桜かひある花の色を見るかな  本居宣長

此の山に関する作品

住吉具慶筆  『多武峰縁起巻』  多武峰神社蔵

土佐光信筆  『同』       同

登内微笑筆  『多武峰春雪』   帝国美術院八回出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)