多武峯

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とうのみね


画題

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解説

画題辞典

多武峯は大和国十市郡に在り、元と倉橋山といいしを、中臣鎌足、中大兄皇子(後の天智天皇)と此山の藤花の下に会談して蘇我入鹿を誅せしより多武峯と名つくという、峯上に二槻宮及藤原鎌足の墓あり、鎌足初め摂津阿威山に葬りしを、後にその子僧定慧の此峯に改葬せしものなりという、墓の上に十三重の塔あり、塔の南に妙楽寺又護国院あり、堂の東に三丈御殿あり、鎌足木像を安置す、後世天下変あらんとき、墓地鳴動し木像破裂すという、歴代朝廷の奉幣あり、藤原氏の勢大たるに従ひて、堂塔の大を加へて尊崇益厚し、醍醐天皇多武峯総社を建て、談山権現という。今尚祠宇数十山腹に並び規模結構宏大壮麗、関東の日光に対比せらる、満山櫻楓多く景色亦佳なり、多武峯縁起二巻住吉如慶具慶筆及四巻土佐光信筆あり、国宝なり。

(『画題辞典』斎藤隆三)