地獄変

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じごくへん


画題

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解説

東洋画題綜覧

正しくは地獄変相の図といふ、支那で呉道子が画いたのを以て嚆矢とするといふ、平安朝時代には盛んに描かれたものである。

弘高地獄変の屏風を書きけるに、楼の上より鉾をさしおろして人をさしたる鬼を書きたりけるが、殊に魂入りて見えけるを、みづからいひけるは、「おそらく我運命つきぬ」と、果していく程もなくうせにけり、六条宮(具平)御堂に申し給ひけるは「布障子の役などには、今は弘高は召さるべからず、軽々なるべきことなり、弘高聞きて自愛しけり、この弘高は金岡が曽孫、公茂が孫、深江が子なり。  (古今著聞集)

地獄変相の屏風で有名なものは伝恵心僧都筆近江来迎寺蔵のものである、近く左の作がある。

林皓幹筆   第二回帝展出品

浅見松瑩筆  新文展第二回出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)