四家文体

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しかぶんたい


画題

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解説

東洋画題綜覧

平安朝時代に於ける四人の文章家、それぞれ文章の体あつて称せらる、即ち左の四人である。

大江以言〈これとき〉 玉淵の孫で大隅守仲宣の子、少にして学を藤原篤茂に受け長保寛弘の間に文章博士となり従三位下に至る、寛弘七年歿す年五十六、以言沈滞久しく躍進を企てたが、いつも摂政道長の妨ぐるところとなつた、以言慍り、詩を賦して曰く

鷹鳩不変三春眼、鹿馬可迷二世情

大江匡衡〈まさひら〉 文章博士、重光の子、七歳にして書を読み九歳にして詩を賦すといふ、永観永祚の間に甲斐権守弾正少弼に累進し文章博士となつて一条天皇円融天皇の読書に侍す、長和元年卒す、年六十一、曽て大井川に舟遊し和歌を詠じて曰く

河舟に乗りて心のゆく時は沈める身とも思はざりけり

紀斉名〈たゞな〉 本姓田口、後紀氏に改む、一条天皇の御宇大内記に任ぜらる、長保元年卒す年三十四。

慶滋保胤〈よししげやすたね〉 文章家にして詩をよくす、菅文時に師事し天暦中従五位下大内記となる、仏道に志し髪を削て寂心と号す、天性慈和にしてその徳禽獣に及んだといふ、長徳三年東山如意輪寺に卒す。

これを四幅対として画いたものに、高取稚成筆(第九回文展出品)がある。

(『東洋画題綜覧 補遺』金井紫雲)