咬
じゃがたらぶみ
画題
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解説
東洋画題綜覧
咬𠺕吧〈ジヤガタラ〉は爪哇のスマトラの古名といふ、徳川幕府が鎖国主義を取るやうになつてから、在留の欧洲人は悉く国外に追放したが、その中には久しく我が国にゐて、日本の女を娶り子まで生んだものもあつたので、幕府は寛永十六年の末、それらの縁者をもジヤガタラヘ退去させた、彼等は遠い異郷にあつて懐郷の情切なものがあり、便船に托して送つた文が、世にいふ咬𠺕吧文で、遥々と国を追はれ今は帰ることの出来ぬ異郷にあつて、国を思ひ生家を思ふの情、稚拙な文章の中にも溢れ、惻々として人を動かすものがある、今伝へられてゐるものでは『長崎夜話草』に収められた、はるの文最も有名であるが多少後人加筆のあとありといふ、外にこるねりやの筆二通ふく一通こしょろ一通、不明のもの一通、肥前平戸に遺つてゐる、左にこるねりやの一通を掲げる。
なおなお申上げ候、まづ申べきをしつねんいたし、おおちち(祖父)さま、うは(姥)さま、御両人御かたへ、おらんだぬの二たん、これワ大あにそのいもと両人はうよりしん上申候、たいせつノしるしまでに候、まいねんながさき御両まんところさまより、くわうたい(広大)のしひ(慈悲)おこうふり、つちのへさるの九月十一日の御ふみならびに、いんしん物ともちうもんのおもむき、同十月廿七日にうけとり、はうはう(方々)へあいととけいつれもよるこびくわふんのよし申され候、ここもと一入ふしにて、きよかのへいぬ(去庚戌)の四月にむすめおもうけ、いまこども四人ともにそくさいにいまううせ候まゝ御こころやすかるべく候、こんとすこしいんしん物の覚え
一上々さされふりもめん 一たん
一上々大かなきんもめん 一たん (以下略)
これを題としての作に左の一点がある。
松島白虹筆 『ジヤガタラ文』 第十二回文展出品
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)