厳子陵

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げんしりょう


画題

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解説

画題辞典

巌子陵、名は光、子陵は其の号なり。後漢の処士にて、曽つて光武帝と同じく遊学す、光武位に即く後之を求めて齊国に得たり、その時子陵羊裘を被て沢中に釣を垂れ居たりという。之を宮中に召し共に臥す、その時子陵足を帝の腹に載す、既にして明日太史客星の極星の座を犯すものありと奏するに至る。武帝笑って朕は唯故友と臥するのみと答えたり、帝子陵を諫議太夫に拝したれども受けずして去リ、畊釣して終る。「雲山蒼々、江水泱々、先生之風、山高水長」は有名なる子陵を賛せる辞なりとす。其の清節を持して畊釣するの行為は古来和漢画家の好材として画く所たり。

狩野永徳筆(京都天瑞寺所蔵)、海北友松筆(京都妙心寺所蔵)、円山応挙筆(山下亀三郎氏旧蔵)

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

厳子陵は後漢の高士で、名は光、子陵はその号である、光武帝と共に学んだ、帝、位に即くに及び、厳子陵を求め漸く斉の国で探しあてたが、その時、子陵は羊裘を被てをしてゐた、宮中に召され、帝と起臥を共にした処、或る時子陵足を帝の腹の上に載せた、翌日太夫、これを以て客星の極星を犯すものと奏した、すると帝は笑つて唯故友と臥すのみといつた、後、帝、子陵を諌議太夫に推したが子陵受けず、去つて亦釣耕を事とした、時人子陵を賛して曰く、『雲山蒼々、江水泱々、先生之風山高水長』と、これ范希文が厳先生祠堂記に記す処の句である。その羊裘を着、笠を被り竿を携へ籠を提げたる画像は『芥子園画伝』に載する処、其他左の作がある。

狩野永徳筆  京都天瑞寺蔵

海北友松筆  京都妙心寺蔵

円山応挙筆  山下亀三郎氏蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)