南淵永河

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みなみぶちの ながかわ


画題

画像(Open)


解説

前賢故実

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散位從四位下の坂田奈弖麻呂の子。朝野鹿取、小野岑守、菅原清公らとともに、皇太子時代の嵯峨天皇の侍読を務めていた。嵯峨天皇が即位すると、永河は民部少丞に任ぜられ、從四位上にまで累進した。承和四年、備前守を務め、同年の秋に太宰大貳になり、仁愛を以て職務を果たしたので、庶民に敬愛されていた。承和十年刑部卿および播磨守を務め、同十二年正四位下を叙せられた。七十歳の年に退官した。仁寿元年、永河は老臣として朝廷に尊重されて、下野守、のち因幡権守に任ぜられたが、何れも赴任の必要のない名誉職であった。八十一歳で亡くなった。

勅命を奉じて雑言を以て、太上皇が詠んだ「春堂五詠」の内の「屏」に唱和致す

御春堂(ぎょ春堂) 春堂六扇屏(春堂には六扇の屏風があり) 淡墨図形尚可辨(淡墨で描かれている図案がなお判別できる) 朝雲帰処巫山晴(そこにあるのは、朝雲が帰った後の晴れ晴れしい巫山だ)

(『前賢故実』)