南岳禅師

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なんがくぜんじ


画題

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解説

画題辞典

南岳禅師、名は懐譲、金州の人、唐の高宗の儀鳳二年四月八日を以て生る、其日白氣上り祥瑞現す、時の太史瞻見して国の法器生ると奏すという、幼より聡明にして温譲、長じて仏書を讀み、十五歳にして荊州玉泉寺の弘景に就きて出家し、毘尼蔵を習いしが、或時、夫れ出家は無官の法なるが故に、天上人間も勝て処する事なしという、同學の友之を聞き、勧めて嵩山の恵安に謁せしむ、恵安啓発して曹渓の恵能に参せしむ、恵能乃ち問ふ、爾何所より来るや、譲曰く嵩山より来る、能曰く、何物が斯くの如く来るや、譲答ふる能はず、辛酸工夫八年に及び始めて省る所あり、遂に契会し左右に侍する十五年に及び、唐玄宗の開元初年南岳の般若寺に住し、多くの學徒に接せり、六人の入室弟子ありしも、獨り馬祖道一に印可せり、玄宗の天宝三年八月十一日寂す、大恵と謚らる。尚南岳磨磚の条参照ずべし。

(『画題辞典』斎藤隆三)