南岳大師

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なんがくだいし


画題

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解説

東洋画題綜覧

南岳大師、諱は慧思、姓は李氏、南予州武津の人、湖南省の名山南岳に住したので南岳大師といふ、幼時僧あつて仏法に入るを勧むと夢み常に『法華経』に対して涙を流して拝誦したといふ、十五の時出家し、北斉の慧文禅師に従つて禅法を学び、夏の将に竟らんとする日に及んで嘆じて曰く、釈迦牟尼世尊在世の弟子は、九旬にして証悟するもの多かつた、われ今空しく法臘を受けて得る処なしと、豁然として法華三昧を大悟した、これより聞いたことの無い経典と雖も通暁せぬはなかつたといふ、初め光州の大蘇山に止つて弟子に教へ、陳の光大二年、蘇山に烽警あり、乃ちその徒を率ゐて南岳に移つた、これから南岳大師と称せらるゝに至つた、山を下つて半山道場に入り、衆を集めて連日法を説く、苦切呵責、聴者をして寒心せしめたといふ、曰く、若し十人ありて身命を惜まで、法華、般若、念仏三昧等を修するものあらば、我自ら供養せん、若しその人なくんば、我当に遠く去らんと、衆一人の応ずるものなし、師遂に衆を屏け念を歛め、端座合掌泯然として寂す、時に陳帝の大建九年六月二十二日、寿六十三、『大乗止観』は実に大師の著であるといふ。  (仏教辞林)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)