勝頼

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武田勝頼

天文15年(1546)〜天正10年3月11日(1582.4.3)


戦国大名甲斐武田家当主。武田春信の四男で母は諏訪頼重の娘。

永禄五年に父信玄が滅ぼした諏訪氏の名跡を継ぎ諏訪神勝頼と称して、信濃高遠城主となる。織田信長の養女遠山直廉の娘を妻に迎える。天正五年家康に対抗するために北条氏政の妹を後妻として迎え、同盟関係を強化した。しかし、上杉謙信の死を契機に始まった越後御館の乱で上杉景勝と同盟したため、景虎を後援した氏政と対立を深め、甲相同盟は破棄された。その後、天正十年三月十一日、織田信忠の軍に攻められて、逃亡先の山梨郡田野郷で自害した。



『戦国人物辞典』2006年1月10日 戦国人物辞典編集委員会 吉川弘文館