務光

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むこう


画題

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解説

画題辞典

務光は支那の清士にして仙なり、夏の時に出づ、耳の長さ七寸、好んで蒲韮根を服す、湯、桀に代り、次いで天下を光に譲らんとす、光辭して曰く、上を廃す義に非ず人を殺す仁に非ず、人其難を犯し我れ其利を享く、廉に非ず、乃ち石を負ひ蓼水に沈む、後四百年武丁の時復武丁に見はる、即ち以て相となさんとす、遂に尚父山に遊び復出でず。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那夏の時代の隠士、耳の長さ七寸といふ、好んで蒲韮の根を食ひ長命である、夏の湯王桀に代つて天下を取り、之を務光に譲らんとしたが、光辞して曰く、上を廃す義に非ず、人を殺す仁に非ず、人其の難を犯し我れ其の利を享く廉に非ずと、乃ち石を負ふて蓼水に沈んだが、後四百年、武丁の時、現はる、武、迎へて相となさんとしたが、受けず遂に尚丈山に隠れてしまつたと。隠士の生涯また好画題となすに足る。

務光 夏、湯克桀、以天下譲之、光負石自沈蓼水、己而自匿、後四百余歳、至武丁時復見、武丁欲以為相、復隠去。(按務光、一作瞀光、或作牟光、又皇甫、謐云、黄帝時人。)  (中国人名辞典)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)