加賀宝生

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かがほうしょう

稀代の能狂いといわれた五代将軍徳川綱吉は、将軍就任以前から宝生流を嗜んでいたと推測されている。 就任後は宝生流を非常に後援した。 これに迎合するように、加賀前田家と尾張徳川家は、それまで金春流主体だった藩の能を宝生流に切り替えた。 これ以降、北陸地方では宝生流の能が盛んになり、現在でも金沢方面では宝生流の能が盛んに行われている。 このことから、金沢方面に伝わる宝生流やその能のことを「加賀宝生」と言う。