出島

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でじま


画題

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解説

東洋画題綜覧

徳川時代に長崎にあつた和蘭陀人の居留地で、その形が扇のやうなので扇島ともいふ。『地名辞書』に曰く

森崎大江戸の南なる沙嘴にして、今出島町と云ふ、旧和蘭陀人の居留地なり、初め寛永十一年之を築き、葡萄牙英吉利の両国商人を置けり、島原乱後に平戸の蘭人を招き此に居留せしむ、長崎地名考云、出島は始め南蛮人の住館なり、寛永十一年江府の命令に、南蛮人英吉利人共船に居住し、又町家に差置事不可然、市中を離れたる所を見立、館を移建つべしと也、此趣市中町人伝承し、奉行榊原飛騨守へ及出願、自費を以て蛮人住館取建、蛮人に借し其敷料受用致度旨聞届有之、其地所は江戸町向手の海中を埋立べしと差図あり、是より蛮人旅館并土蔵数戸、諸役人詰所迄悉く成就す、因て市中寄宿并船住居の蛮人と新館に移し入る、寛永十五年、島原郡蘇凶徒鎮静の後、猶此邪宗門厳禁也、依之当地在留の蛮人も皆本国へ帰帆せしめ、自今通商禁絶被仰付、其趾暫く空館なりしが寛永十八年、先年より肥前平戸へ渡海貿易致す阿蘭陀人、彼地を引払はせ当港に移り、南蛮人の住館を其侭蘭人住館とす、則当所を出島と名付、又島の形扇の如くなるを以扇嶼ともいふ。

出島は長崎絵としてよく画かれてある。

広渡湖秀筆  『出島蘭館絵巻』    松浦伯爵家蔵

川原慶賀筆  『長崎出島館内之図』  清水直治氏蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)