凡河内躬恒

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おおこうちのみつね

生没年未詳。九世紀の末から十世紀初めの歌人。

凡河内氏は凡河内(のちの河内の国)の国造の子孫という。甲斐少目、和泉大掾など、卑官であったが、歌人としてすぐれ『古今集』の選者、家集に『躬恒集』がある。

《参考文献》 『百人一首-王朝和歌から中世和歌へ-』 井上宗雄 笠間書院 2004年おおしこうちの みつね


画題

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解説

前賢故実

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もともとは貧しくて卑しい家の生まれだが、和歌に長けていた。醍醐天皇に召されて御書所で仕えることになった。延喜中、御厨子所で仕え、和泉権掾に任ぜられ、六位を授けられた。のち甲斐介を務めた。ある日、召されて帝に「古人が弓弦を月に譬えるというが、その意味を使って汝が歌を詠んで答えてくれないか」と言われた。躬恒は即興で次の歌を詠んだ。

てる月を弓はりとしもいふことはやまべをさしていればなりけり

これに感心した帝は、躬恒に御衣を賜った。躬恒の家に桜の木があり、花が咲いた時に賓客が家に溢れるが、花が散ると賓客が来なくなる。これに感慨して躬恒は歌を詠んだ。

わが屋どの はな見がてらに くる人は ちりなむのちぞ 恋しかるべき

延喜七年卒、享年四十九歳。世の言い伝えによると、甲斐国にいた躬恒は、山を開き沢の水を流させた功労によって、民に感謝され、未だに国中に躬恒を祀る祠がよく見かけるという。

(『前賢故実』)