八朔

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はつさく


画題

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解説

画題辞典

八朔は八月朔日の略なり。古くより田の実の節と唱へて祝日とせられしものなるが、江戸時代になりては天正十八年の是日が家康公の江戸入城の日なりしより特に之を重視し、幕府にては年始に次くの大礼の日としたり。是日江戸の遊廓新吉原にて遊女皆白無垢の衣裳して道中すること吉・原開創已来の吉例と称せらる。清元の「北洲千年壽」にも

 ハヤ八朔の白無垢の雪しろたへにふりあかり馴染重ねて

などあり。八朔の題名の下に無白垢の遊女は屡々浮世画家の筆端に上る所となす。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

八月朔日を、八朔の御祝儀として昔は五つ時白帷子で拝礼するを常とした、殊に江戸では家康の江戸入府が天正十八年八月一日であつたので、此の日を祝ふ習慣となつてゐた、又、八朔の白帷子は八月の節を白露と呼ぶによるからであると、吉原では遊女が白無垢を着て仲の町に出る。

今日吉原遊女、一般に白小袖を着して仲の町へ出る、今日白無垢を着することは、元禄の頃、江戸町一丁目巴屋源右衛門が方の遊女京橋といへる太夫、其頃瘧を煩らひけるが、なじみの客来りし時、打ふしゐたりし白むくの侭にて揚屋入しける風情の艶なるに、万客思ひをなやましけるが、これより移りて年々八朔に白むくを着る事になれりといへり。  (東都歳時記)

この白無垢の道中を画いたものに左の作がある。

窪俊満筆   『八朔』  星野日子四郎氏蔵

山村耕花筆  『八朔』  第四回院展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)