元三大師
がんざんだいし
画題
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解説
画題辞典
元三大師は天台の高僧良源僧正がことなり。近江の人、延喜十二年生る、十二歳にして比叡山の理仙大徳に師事し、理仙寂後相応和尚により登壇受戒す、承平七年の維摩会に年二十六にて奈良の俊オ義昭を折きしより名声大に揚る。康保元年内供奉十禅師となり、二年権律師となり、三年法性寺座主より続いて天台座主に任じ、律師に進む、在職二十年、大僧都となり僧正となり。天元四年円融天皇の御不豫を修験して大僧正となり、輦車を聴るさる、実に行基菩隆以来のことなり、一世に崇敬されしこと知るべし。寛和元年正月三日寂す、寿七十四、慈慧大師と勅謚す。世に元三大師というは正月三日に寂せるが為めなり。良源嘗つて衆生の災厄を払わんとて自ら夜叉の形となり、之を鏡に写して曰く「我影像ある所必ず悪魔到らざらん」と、之よりその形を門戸に張りて咒符となす、謂ゆる元三大師又角大師(つのだいし)是なり。
比叡山横川元三堂に粟田口隆光の筆に成るものあり、東京寛永寺に住吉具慶筆元三大師縁起絵巻あり。
(『画題辞典』斎藤隆三)
東洋画題綜覧
元三大師は天台の高僧、諱は良源、俗姓は木津氏、諡号を慈慧大師といふ、近江国浅井郡の人、延喜十二年九月生る、延長元年五月叡山に登り理仙大徳に帰す、大徳の殁後、相応和尚に依つて登壇受戒し、爾後諸大徳について研鑽最も努め、学徳大に顕はる、康保三年八月、天台座主職に任ぜられ、天元二年僧正に陞る、同四年八月円融天皇不予に在したので勅を奉じて修法し霊験あり、依て大僧正に任ぜられた、学徳一世に卓出して門下俊才を出すこと前後比なく源信、覚運等はその高足である、寛和元年正月三日七十四歳にして寂す。 (仏教辞林)
比叡山に大師勧請の起請丈といふ事は、慈恵僧正、かきはじめたまひけるなり、起請文といふこと法曹には、その沙汰なし、いにしへの聖代、すべて起請文につきて、おこなはるゝまつりごとなきを、近代この事流布したる事なり、また法令には水火に穢をたてず、人物にはけがれあるべし。 (徒然草)
元三大師を画けるもの。
粟田口隆光筆 比叡山横川元山堂蔵
住吉具慶筆 『元三大師縁起絵巻』 東京上野寛永寺蔵
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)