伝土佐長隆画『土蜘蛛草子』

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総合

土蜘蛛草子とは、14世紀末ごろの絵巻物で、土佐長隆の画と言われている。

<梗概>
ある年の神無月二十日のころ、源頼光は朗等の渡辺綱を伴って、北山のあたりの蓮台野に行った時に、一つの髑髏が空に飛びまわるのを見た。2人がその行方をおって神楽岡まで来ると、大きな古家のあたりでその髑髏を見失ってしまった。
家の中には290歳の老婆や頭が異様に大きい尼など、異類・異形の化けものが大勢、頼光主従の前に現れた。
明け方に近づくと、頼光の前に楊貴妃や李夫人と競うほどの美女が現れた。
美女は袴の裾をさっと蹴り上げたと思うと、毬のような10ほどの白雲の塊を次々に頼光に投げつけた。立ちくらんだ頼光は刀を引き抜いて、美女に斬りかかったが美女は忽然と姿を消した。
頼光の刀は折れ、床には白い血が淀んでいた。その血を辿っていくと西山のあたりの大きな洞穴に辿りついた。
その洞穴を用心の為に作った身替りの人形を先頭にして進み、頼光が穴の奥に達すると、その脇には古い倉があり、その中に1匹の巨大な化けものが寝込んでいた。すると白雲の中から異様な光が発し、頼光の折れた刀の先が白雲から飛来して人形に当たり、それとともに化けものも倒れた。
頼光は天照大神や弓矢正八幡に祈請し、頼光と綱は化けものを引き出した。頼光は化けものの首を掻き斬った。その化けものは1匹の大きな山蜘蛛であった。山蜘蛛の死骸から1990もの死人の首、7・8匹の小蜘蛛、20ばかりの生首が出てきた。綱は大きな穴を掘ってその首を埋め、古家を焼き払った。やがて頼光と綱の勲功が認められ、昇級した。


これより、『土蜘蛛草子』は『源平盛衰記』の「剣の巻」の蜘蛛切の話を原型として発展された話であることがわかる。原型は「剣の巻」の蜘蛛切の話だが内容は大きく変化している。頼光が病気でなかったり、頼光自身が土蜘蛛を退治し殺しているなどして内容は大きく変化している。これより、『太平記』の「鬼切鬼丸の事」のように、頼光の蜘蛛切の話が定着する以前に生成途次であって揺れ動く頼光の話の姿を表しているものだと思われる。


<参考文献>
『続日本の絵巻26 土蜘蛛草子 天狗草子 大江山絵巻』中央公論社 1993年