伊賀局化物に遇ふ事

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新待賢門院に伊賀局といふありけり。これは左中將義貞朝臣の侍に、篠塚伊賀守といへるが女になむありける。女院の御所は皇居の西の方にて山につづける所なりけり。去ぬる正平ひのとのゐの歳の春の頃「ばけ物あなり」とて人々騷ぎ懼れ給へる。形をしかと見定めたる者もあらず、行き逢ひける者は心ちあしくなりにけり。内裏より御殿居人あまた参らせ給うて蟇目など射させ給ふ其のはどはしづまりにけり。水無月十日あまりの程に、いとあつき頃なりければ此の局、庭にいでて立ち給へるに、月のさしいでていとあかかりければ、「凉しさをまつふく風に忘られて袂にやどすよはの月かげ」と誰聞く人もあらじとひとりごち給へるに、松の稍の方より、からびだる聲して、「唯よく心靜かなれば即ち身も凉し」といふ古き詩の下句を言ふに、見上げ給へば、さながら鬼の形にて、翼の生ひいでけるが眼は月よりも光り渡るに猛き武士の心も消え失せぬべきにうち笑ひ給うて「誠にさにこそありけれ。さもあらばあれ、いかなる者にかあるらむ。あやしく覺ゆるにこそ、名のりし候へと問はれて、「我は藤原の基任にこそ侍れ。女院の御為に命を奉りさふらひしに、せめてはなき跡を問はせ給はむ事にこそあれ。それさへなく候へば、いと罪深くかかる形になりて苦しき事のいやまされば恨み奉らむと思ひて此の春の頃よりうしろの山に候へども御前には恐れて參らぬにこそあれ。此のよし啓して給ひなむ」と答へければ「げにさは聞き及びし。されど恨み奉るべき事かは。世の亂れに思ひ過ぐし給へるぞかし。其のことわりならば、けいして吊ひてむ。さるにても御經にはいかなる事かよかるべき。心に任せ侍らむ」との給へば、「唯其の事ばかりに候へ。御弔には法華經にしくはあらじ。さらば帰りなむ」といふに、「帰らむ處ははいづくにか」とのたまへば、「露と消えにし野の原にこそなき魂はうかれ候へ」とて北をさして光りもてゆくを見送りて後、女院の御前に參りて啓し給ひければ、「まことに思ひ忘れてこそ過ぐしつれ」とて、明の日吉水法師にみことのりありて、御堂にて三七日法華經を供養し給ひけるに、其の後はあへて異なるわざもなかりき。うかびてやあるらむ。いと頼もし。


<参考文献>

・『吉野拾遺詳解』中邨秋香 博文館 1899

・『吉野拾遺』松翁 温故学会 1984