伊東入道祐親法師

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伊東祐親 ?~1182 平安時代後期の武士。祐近ともいう。伊豆の住人伊東祐家の子。母は未詳。治承四年(1180)八月以前に出家。父の死後、祖父家継は祐家の兄弟祐継に本領伊豆伊東荘を与え、一族の総領とした。この時祐親は、同国河津荘を与えられたが、総領の地位を奪われたことに不満で、しばしば訴訟を起こし、祐継の死後その子祐経の所領を奪い、そのために同族間の深刻な対立が生まれた。のちに祐親の子河津祐泰が祐経に殺害され、祐泰の子祐成・時致(曽我兄弟)による仇討事件が起こったのも、この両派の紛争に起因する。祐親は平氏に仕え、伊豆の流人頼朝の監視を命ぜられていたが、頼朝が祐親の娘に通じ、一子を挙げたため、平氏を憚って安元元年(1175)頼朝を殺そうとしたので、頼朝は北条時政のもとに逃れた。治承四年八月頼朝が挙兵した時、これを石橋山に攻めたが、成功せず、のち頼朝の権威が高まり不利な立場に立った祐親は同年十月駿河に逃れんとして捕われ、娘婿三浦義澄に預けられた。のち義澄の尽力で罪を許されたが、祐親はこれを潔しとせず自殺した。時に寿永元年(1182)二月十四日。(国史大辞典)