仏通禅師

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ぶっつうぜんじ


画題

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解説

東洋画題綜覧

高僧、痴兀と号した、伊勢の人、平清盛の胤といふ、初め平等と号し叡山の徒となる、博識聡明八宗の学究めぬものはなかつたといふ、其の最も精しかつたのは真言で発明する処極めて多く、当時東台の密者伝へて平等義となす、聖一国師の禅化を聞き奮然として之と角逐せんと欲し、東福寺に謁見し問答して辞塞り衣を易へて入室し参拝することやゝ久し〈、遂に契する処あり、その第一座となる、晩年自塔院を安養寺に構へ、ここに居つたが慶長辛亥の秋、藤原氏の推す処となつて東福寺の主となつた、正和元年冬十月二日入寂す、年八十四、寂後三十年、仏通禅師と諡す。  (本朝高僧伝)

京都願成寺にその画像がある、国宝に指定さる。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)